田ノ神 たのかんさぁ考察

古代史

田ノ神 たのかんさぁについて考察というかメモを書いておきます。

発祥、起源は何か?まぁ、原始宗教の名残、大きな岩、山の信仰が、地元、村での象徴になった?

男根崇拝、豊穣祈願、子孫繁栄の象徴が田の観音様田ノ神さまの起源では?

または、古代中国からの避難民が、南九州に住み着き、古代中国の宗教を持ち込んだ。

三国志の魏の曹操の支配下にあった青洲黄巾党の一派が、徐福伝説のある日本に渡った可能性。

鹿児島、特に南九州地区に、中国読みの地名が多い、例、諏訪(すわ)、上福、下福、惣福、中山(ちゅうざん)など。

まず、岩、石に対する信仰は人類共通であり、あらゆる王朝、支配者によって、破壊されてきた中国、朝鮮より、支配層がゆるやかで異民族の集合体であった日本では、古代宗教がそのまま温存されるケースが多かった。明治の廃仏毀釈以前までは、かなり残っていたと思われる。

神仏習合からも分かるように、日本のさまざまな民族の神(トーテムみたいなもの)を仏教で統一しようとしたが、結局はごちゃまぜになってしまい、仏教でさえも多数に分かれた。

キリスト今日でさえも、隠れ念仏、隠れ切支丹、黒教などさまざまに日本的になっているので、古代はもっとゆるやかであったろう。

古事記=神話に異民族のトーテム神を入れることで、ゆるやかに古代連合大和朝廷を作り上げ、その他異民族の王が順番で天皇を務めていたのだろう。だが、仏教が入ることで、聖徳太子≒蘇我入鹿?=蘇我一族を、中大兄皇子と中臣鎌足が暗殺。天皇を連番制から、天孫降臨、血縁にしたのだろう。この入れ知恵をしたのが中臣鎌足(百済の王子)だろう。

そして、ここから古代の王で、臣下として従わない王族(物部、忌部氏齊部氏、その他)を討伐、言葉にも残している。

もののべ→もののけ、いんべ→忌むなど、

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