田の神様 辻之堂

辻之堂 田の神様 自己紹介

辻之堂、谷山中央7丁目の辻之堂公民館に設置してある田の神様です。

辻之堂 田の神様

田の神様、田ノ神様、田之観音様、たのかんさぁ、まぁ、田んぼの神様のことです。

この風習は、鹿児島県一帯にか無く、他県には一応ありますが、地蔵色が強いものばかり。なぜに南九州、特に島津領地域にこの宗教?みたいなものが残っているのか考察している人は、昔の民俗学者ばかり。最近の研究は、鹿児島の郷土史家の本があります。失念しましたが、また調べて書きます。

碑石がありますが、何書いているか分かりませんwww

古文書やら読めればよいのですが、門外漢なので_| ̄|○

私一個人の考察ですが、鹿児島、特に薩摩地域は諏訪信仰です。諏訪信仰ということは、出雲系の宗教を持つということ、つまりれ大和朝廷とは異なります。

大和朝廷の隼人討伐(720年〈養老4年〉九州南部に住む隼人の敗北で終了)を機に南九州(特に姶良方面)が参加になったと思うのですが、それ以南(谷山から南方面)は、まだ無法地帯、大和朝廷に従わない勢力ばかりだったと思うのです。それを代表するのが、谷山城(現下福元本城付近)の谷山氏。

谷山方面は、諏訪信仰、地名の特殊な読む方、漢語=中国語ばかりなのを受け、古代中国、殷から周時代に流民と漂着した古代人と、その後呉、後漢時代の流民、との古代倭人との棲み分け地域だったと思うのです。

例えば、中山という地名があります。日本語なら、なかやまと読みますが、これを「ちゅうざん」と読みます。

上福元、下福元と地名がありますが、元は、上福、下福と碑石に書いてありました。

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